亡き劇作家が「クミの五月」に込めたもの(3)〜5・18は終わらない〜

宋基淑『光州の五月』を読んでほしい。けど・・・

 映画「タクシー運転手」をめぐっては、さまざまな媒体で多くの映画評を目にしますが、1980年5月のあの時あの場にいた人びとが、何をその目で見、経験し、その後どんな人生を歩んできたか、またその後景をなす韓国現代史ないし民主化運動史をきちんと踏まえた論評なり感想は、あまり見当たらないようです。日々更新される新たな情報、資料や文献を拠り所にするのは決して悪いことではないのですが、その時代の空気を孕んだ同時代史の視点で書かれた古い文献がほとんど顧みられないことに、正直とてもがっかりしています。それは私がアカデミアの人間だから、ことさらそう感じるのかもしれません。しかし重ねて言いますが、紙であれネットであれ、ひいてはフェイクとされるような媒体であれ、受け手にとって、そこに書かれてあることは「文字という権威」となりうる。この状態を放置するのはそれを認めるに等しいことです。

 わけても歯痒く思われたのは、宋基淑『光州の五月』金富軾『失われた記憶を求めて』など、光州抗争とその後の民主化闘争を内側で体験した人たちの、さほど古くもない日本語訳の本ですら、ほとんど参照されていないことです。

ここでは小説『光州の五月』を取り上げたいと思います。作者の宋基淑は韓国文壇の重鎮にして、全南大教授でもあった人物です。彼は光州抗争を市民収拾委員の立場から経験しました。その後、事件のプロセスと被害状況を綿密に調査し、被害者や目撃者たちを訪ね歩いては口述資料を集め、『光州五月民衆抗争史料全集』(1990年)という膨大な証言集を編纂するのに中心的な役割をはたしました。私は1998年5月に全南大5・18研究所が主催した講演会で「外国人の目からみた5・18」というテーマで話をしたことがありますが、その時の初代所長が宋教授でした。後で知ったところでは、この時すでに『五月の微笑』(原題)を構想されていたそうです。

 物語を織りなすのは「心の傷」とともに生きる光州の人びとです。主人公は、恋人とその姉を戒厳軍兵士に暴行された鄭燦宇。姉はその出来事によって精神を病み、入水自殺する。妹は、姉が遺した私生児の甥と年老いた祖母を養うため、大学進学をあきらめ、恋人・燦宇との別離を決意する。一方、燦宇が勤める会社の関係者にも、人知れず心に傷を負う人物がいます。光州問題をめぐる恋人との口論がもとで破談となり、酒に溺れ、独身を通してきたものの、いまだ事件へのわだかまりを抱き続けながら、酒に酔って溺死した元兵士は、燦宇の会社の元請け会社の理事でした。

燦宇は次のように考えをめぐらします。

 

全斗煥らはまず、軍人の人格を破壊し、そして光州の人々の肉体を破壊したのだ。・・・私たちは攻守団(*)も全斗煥らと同じように憎悪するが、実は彼らも人格を破壊された単純な道具に過ぎなかったのだ。彼らを憎悪するのは光州市民を撃った銃や、市民を捕まえ乗せて走った自動車などの道具を憎悪するのと同じことなのだ。この点をはっきり直視し、認識してこそ光州虐殺者の実態を明らかにすることができる。」

 

 先日の「アナザーストーリーズ」に取り上げられた二人の元兵士は、そうした全斗煥らによる人格破壊を自ら克服し、贖罪意識へと至り、それを新たな生き方に転換させた人たちでした。彼らもまた「人格を破壊された道具」であり、その意味で光州虐殺の「被害者」でもあったことは言を俟ちません。

だが、そこで思考停止してしまって、はたしてよいのだろうか? 朴暁善が「クミの五月」を通して、また彼自身の語りを通して問いかけたのはそのことでした。実は『光州の五月』でも、これと同じ問いが物語を貫くもう一つのテーマになっています。

それは、「クミの五月」では「あの怨恨の殺人魔、吸血鬼全斗煥を、極悪非道の維新残党どもを、処断し」などの台詞として、朴氏の語りでは「小隊長クラス以上の処罰問題」として、何度も繰り返し強調されてきたことと通底するテーマです。

ただ非常に残念なのは、日本語版『光州の五月』には「攻守団」(*)をはじめ、誤訳、誤植が多いとされることです。在日朝鮮人作家の黄英治氏からその一つ一つについてご教示を受けましたが(黄氏からの私信による)、ここには敢えて列挙しません。要は、そうしたハンディをおしてでも、この作品はなんとしてでも、広く読まれてほしいと願っているのです。

 

(註)「攻守団」は同じ「공수단」と発音・表記される「空輸団」(=「空挺部隊」)の誤訳と考えられる。

 

アナザーストーリーズは終わらない

 宋基淑がこの小説を構想したきっかけは、1996年10月、バス運転手の金琦緒が、金九を暗殺した安斗熙を「処断」した事件にあったそうです。金九は米軍政下で、政敵の李承晩アメリカの支援により南だけで単独国家を建設しようとする動きに反対して、南北統一の立場から金日成との協議を模索しようとして、1949年に暗殺された抗日独立運動家です。逮捕された安斗熙は終身刑を受けますが、李承晩大統領により減刑され、一年にも満たずに釈放されました。金琦緒は殺害の動機を次のように語ります。

「あのような人物がいまだに生きているということが恥ずかしかったからです。」

 このニュースを見た宋基淑は、安斗熙を光州抗争の責任者たちの姿に重ね合わせます。

 金琦緒事件の翌年に行われた大統領選挙では、どの候補者も「地域感情の解消」を理由に競って全斗煥盧泰愚の赦免を公約に掲げ、実際、金大中当選者が最初にやったのは二人をクリスマス恩赦で釈放することでした。宋基淑は、「現実は私よりも先に小説を作り上げていたわけだ」として、この小説の執筆にとりかかるのです。

 ここで前々回の記事

gwangju.hatenablog.com

で紹介した朴暁善の、金大中に対する憤りを想起していただきたいのです。

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ホン・ソンダム作、連作「五月」、ホン氏は朴暁善とともに芸術班として活動した元市民軍

「光州市民に対し『全斗煥を赦免しますか、しませんか?』とただの一度も尋ねることなく赦免した。金大中氏は5・18を知らない。彼は5・18を知る人ではない。」

 

 さらに全斗煥の指揮下にあった元軍人たちが退役後、青松監護所に大量に特別採用され、入所者たちを虐待していることに触れながら、次のように語っていることも。

 

「いまだにそういう連中が、人間の野蛮性の具象のごとき連中が、5・18への罪責感をもつどころか、青松監護所の看守として生き延びている。そういった現実との闘いが必要なのだ。」

 

 これは宋基淑と全く同じ問題意識です。

しかし、この5・18を内在的に経験した二人の人物から絞り出された問いかけを、その後の人びとは真摯に受け止めてきたといえるだろうか? 

また、より客観的に物事が見える立場にあるはずの私たち第三者はどうなのか?

「アナザーストーリーズ」での元戒厳軍兵士をめぐる切り取り方と描き方は、「5・18への罪責感をもつどころか、青松監護所として生き延びている」絶対多数の存在を、あたかも「無かったこと」のように扱っています。むろん、ここまで真実に肉薄した証言を記録し、放映したことに対しては素直に、高く評価したいと思います。これこそ、テレビにしかできない仕事です。しかし私が言いたいのは「有ったことを無かったことのように扱う」こと、あるいは公共放送として流す以上、「無知」は罪だ、ということなのです。

宋基淑の小説の主人公は、金琦緒が47年間もかけて安斗熙を「処断」したことに倣い、「行こう。私にも道は一つしかない」と、自身も銃を手にします。しかし物語は、まだ彼が引き金も引かないうちに閉じられてしまう。つまり燦宇が狙いすました銃口は、今もなお、全斗煥ら5・18の責任者たちに突きつけられている、という暗示です。

物語は、5・18は、それにまつわるアナザーストーリーズは、「心の傷」とともに生きる人びとにとって、いまだ終わってはいないのです。

前出の黄英治氏は、『光州の五月』の書評を次のような文章で結んでいます(『民族時報』第1140号)。

 

「現実に、光州大虐殺の命令者である全斗煥盧泰愚元大統領は赦免・復権され、前職大統領として、新大統領の就任式には欠かさずひな壇に座るという、どうしようもない現実がある。そして、真の加害者である米国がある。彼らの赦免を、被害者たちは認めたのか。彼らは加害責任をとったのか。とっていないなら、どうとらせるのか。

 小説はいったん幕を閉じる。残されるのは、私たち読者である。」

 

「加害者も被害者」なのか?

 朴暁善は、「加害者もある意味では被害者ではないか」とは、知識人の欺瞞だと喝破しました。民主化運動勢力の中でそうした言説が生じる端緒の一例として、80年代半ばの学生運動家たちが経験した拘置所暮らしについて触れておきます(*)。

それまで大学生という同齢で均質的な集団の中にいた彼らは、拘置所で一般囚と同房になることで初めて「他者」を知り、「理論的に学んだ韓国社会の矛盾を監獄に入ってきた人の個別の話を通してより具体的に確認することになる」。そこに「堕落した民衆」の実相を発見した彼らは、理念を超え、真に「民衆を愛する」ことの意味を突きつけられる。しかし拘置所暮らしを経るにつれ、「支配イデオロギーによって堕落・歪曲された」存在として、すなわち犯罪者=加害者でありながら同時に韓国社会の被害者として、そうした人びとの実存を受け止めるようになるといいます。

彼らはまた、時に威圧的で暴力的な「矯導官」(看守)たちにも出会うことになります。再び「民衆を愛する」ことの意味を求めながら、戒厳軍兵士と同様、権力に連なって暴力を行使する拘置所の末端官吏たちに対してさえも、次のように結論するのです。

 

「我々は、この矛盾構造の中でその人が担っている役割を憎むのです。」

 

 これは前出の戒厳軍兵士に寄せた燦宇の独白、「彼らを憎悪するのは光州市民を撃った銃や、市民を捕まえ乗せて走った自動車などの道具を憎悪するのと同じことなのだ」と、同じことを言っています。しかし、学生運動家たちの思索はそこで終わりです。朴暁善の言葉を借りれば、「5・18を経験しなかった人には5・18はわからない」からです。5・18を真にわからない者たちは、5・18を自分たちが見たい見方でまなざします。また5・18を経験しなかった者たちは、戒厳軍の暴虐を体で知っている者たちではなく、軍服の中の個々の兵士たちを自分たちが見たい見方でまなざそうとするのです。

 前述の拘置所暮らしのエピソードは86~7年頃に書かれた当事者の手記によるものです。朴暁善が劇団員たちの話から、「クミの五月」を観劇したあの金大中でさえ、実は「5・18のことなど全然わかっちゃいなかったんだ」と思い知るのは、その2~3年後のこと。きっと彼には「加害者も(社会の矛盾構造による)被害者」とする、5・18を経験しなかった知識人たちの、頭でっかちの欺瞞が痛いほど突き刺さったにちがいない。あの時あの場で起きた出来事の中心にいた者たちの耳に、時間的にも空間的にも隔たったところから発せられる「加害者も被害者」という言葉は、どんなふうに響いたか。戯曲「クミの五月」は88年、そんなさなかに完成されたのでした。

 劇中、主人公のジョンヨンは武器返納を迫る収拾委員たちとの激論の果て、「これ以上の混乱に対しては、きみらがすべて責任を負うんだ」と切り捨てた委員長に向かい、次のように叫びます。

 

「責任など怖くはない。怖いのは歴史の審判です!」

 

 これはあの時あの場にいて迫りくる権力の暴虐に立ち向かい、孤軍奮闘した人間たちにしか発しえない叫び。この言葉が全てを物語っているのではないでしょうか。

 だが、時間と空間を隔てて、これを取り囲む者たちには、あの金大中にさえ、響かない。中心から最も遠いところにいる私たちには、なおのこと響かない。それどころか、良心的であろうとすればするほど欺瞞に陥ってしまう。なぜならこの町(光州)の、この国(韓国)の、歴史の審判とはどこまでも無縁の存在だから。

それでもなお朴暁善が追い求め続けた人間存在の普遍性、終わらない「野蛮性」への問いを投げかけ続けていく義務が、私たちには残されている。私たち一人一人は、人類の歴史の審判から誰もが自由ではないからです。

「アナザーストーリーズ」を見ながら、二つ目に、そんなことを思いました。

 

(註)チョン・インチョル(仁科健一訳)「韓国学生運動の抵抗のエッセンス」和田春樹・梶村秀樹編『韓国民衆-「新しい社会」へ』勁草書房、1987年