時代の先取り
時代が私たちに追いついた?!
前回の更新からずいぶんと時間が経ってしまいました。
ブログを立ち上げたのは、ちょうど韓国映画「タクシー運転手」が日本で公開され、大ヒットを記録しているさなかでした。本題の「タクシー運転手」に取り掛かる前に、まず10年前に公開された「光州5・18」に触れた後、演劇「クミの五月」にまつわる劇作家の故・朴暁善の肉声を紹介しながら、徐々に徐々に「タクシー運転手」および「1987」を扱う記事へと着地させる計画でした。
ところがその後、思いがけなくネットメディアで拙文を発表する機会を得(『現代ビジネス』)、
そればかりか「1987」公開に前後して、公共の電波で韓国民主化闘争について話をする機会まで与えられ(TBS‐CSテレビ「ニュースバード」9月7、8日)、
その対応で右往左往しているうちに、すっかりブログの方がお留守になってしまいました。
「1987」については、「タクシー運転手」同様、いずれ何らかのかたちで文章にまとめられればと思っています。
今回は、「タクシー運転手」を観ながら今さらのように実感させられた、文系研究者の役割期待ということについて書きます。
「タクシー運転手」のヒットに促されて
一か月ほど前に、偶然ネットで見つけた短い記事を翻訳します。
「1980年当時の外信記者のアジア圏の拠点・日本で5・18記録物を調査
―5・18記録館、25日まで・・・東京中心に資料収集、各国言論社支局等を訪ねて」
(国民日報、2018.6.20)
光州5.18民主運動記録館(以下、5・18記録館)は20日、1980年から38年ぶりに、日本現地で5・18関連記録物の調査作業に取り掛かると発表した。日本の首都・東京は1980年当時、世界主要国の外信記者たちのアジア圏の拠点だった。
5・18記録館は、学芸研究士と通訳官からなる調査団が前日、日本に向けて出国したと説明した。調査団は25日まで東京を中心に現地に滞在しながら5・18記録物を総括収集する活動を行なう。
調査団は、当時、光州の真相を世界に報じた世界有数の各言論社の東京支局を訪問し、関連資料を確保したい計画だ。『光州抗争で読む現代韓国』(*『光州事件で読む現代韓国』の韓国語訳版、2001年刊行)の著者・真鍋祐子など、日本人の5・18研究者らとの面談も予定されている。
また当時、日本で光州抗争に関する情報を伝える多様な刊行物を出していた非政府機構(NGO)や国際機構、市民団体などの所蔵記録物などを直接確認し、収集する作業も並行して行なう。日本での5.18関連記録物調査作業が順調に進めば、政府次元の5・18民主化運動真相究明にとっても助けとなるだろう。
5・18記録館側は、当時光州の真相を映像に収めて地球村に初めて伝播させた「青い目の目撃者」ドイツ人記者のウェルゲン・ヒンツペーターなど主だった外信記者たちが主に東京で活動していた点を勘案し、未公開資料などが多数残っていることを期待している。5・18記録館の関係者は「日本でその間、公開されなかった5・18関連資料が発掘できるよう期待する」とし、「東京だけでなく日本の主要都市の関連資料も収集する予定」だと述べた。
こうした動きは明らかに「タクシー運転手」効果によるものと思われます。ちなみに、記事には面談予定の「5・18研究者」として私の名前が出てきますが、今のところ「5・18記録館」からは何のアプローチもありません(笑)。まあ、連絡をもらったところで、当事者ではない私に提供できる情報量などタカが知れています。早くから韓国の民主化に関心を寄せ、連帯運動に関わってこられた、情報提供者としてふさわしい方々が、私の周囲にも少なからずいらっしゃいます。
いずれにせよ、「タクシー運転手」のヒットに促されて、この「5・18記録館」と同様の問題意識を伴った取材や研究が、今後も現れてくるのではないかと思うわけです。
「光州研究会」のこと
私が上記の記事をとても感慨深く読んだのは、2009年5月に結成した「光州研究会」のことを重ねたからです。この研究会は林香里さん(東京大学大学院情報学環・教授)の、光州抗争をジャーナリズム研究としてtransnational advocacy networkの視点で捉えるのはどう?という提案によって始まりました。まだ李明博政権が始まったばかりでしたが、光州抗争の核心に迫ろうとする試みは時期尚早と、林さんも私も理解していました。光州での真相は、情報統制が敷かれた韓国内で長らく秘匿されてきました。むしろ情報の集積地となったのが東京であり、よって岩波書店『世界』を中心とした情報の流れを見てゆくことで、韓国民主化の過程を浮き彫りにできるのではないかと考えたのです。これは林さんの全くオリジナルなアイデアでした。
韓国併合100年と光州抗争30周年を迎える2010年の年頭、福岡県を拠点とする西日本新聞社より取材を受けました。この記事に「光州研究会」結成のいきさつが詳しく記してあります。
「光州研究会」は林、真鍋、そして2人の女子院生の計4人でスタートしました。そのうち林さんの仕事が忙しくなると、研究会で扱うテーマはそのまま、2人の院生のうちのひとり、李美淑さんのものへとスライドしていきました。
記事にある「知識人や宗教者の地下交流」が李さんの博士論文のテーマになりました。本当は「在日コリアン社会への影響」についても扱う計画でしたが、2010年に哨戒艦沈事件(3月)と延坪島砲撃事件(11月)が発生し、南北関係が急激に悪化すると、韓国籍の李さんが、かつて民主化闘争にコミットした在日朝鮮人や、ことに朝鮮総連系の在日コリアン社会にアプローチすることは危うくなったのです。
2015年に博士学位を授与された李さんの論文は、今年に入ってから
『「日韓連帯運動」の時代―1970~80年代のトランスナショナルな公共圏とメディア』として東京大学出版会から刊行されました。
私はこの本を、ぜひとも「タクシー運転手」や「1987」の鑑賞のお供に、と勧めています。扱われるテーマは確かに「知識人や宗教者の地下交流」に的を絞った「光州事件と日本」の関係についてです。しかし『世界』に連載されたT.K生「韓国からの通信」を作り上げてきたのは、韓国民主化に対して意識ある日本人だけとは限りません。李さんは、情報の媒介者として役割を担ったドイツ人の宣教師やジャーナリスト(すでに「タクシー運転手」をご覧になった方には既知の事実ですが)にもインタビューを敢行し、また韓国のキリスト教関係者たちにも亡くなる直前に、間一髪で話を聞くことができました。今となっては貴重な、命がけで韓国民主化闘争に参与した人たちの肉声によって編まれた作品なのです。
研究者の役割期待
韓国で「タクシー運転手」がクランクインしたというニュースを目にしたとき、最初に思ったことは、おこがましいかもしれませんが、
「時代が私たちに追いついた!」
これです。
この一言に尽きるものでした。李さんの本の出版を「タクシー運転手」日本公開が追いかけるかたちになったことも、私としては感無量でした。
その始まりはささやかな「光州研究会」であり、そこで発せられた林さんの一言でした。
「光州抗争をジャーナリズム研究としてtransnational advocacy networkの視点で捉えるのはどう?」
それは今になってみれば、まさに「タクシー運転手」のコンセプトを先取りする問いかけでした。
1993年、『社会学評論』特集号の対談で、高坂健次と厚東洋輔は、社会学者の役割期待について次のように指摘しています。
「80年代の終わりから東欧社会で矢継ぎ早に起こった一連の社会変革と民族紛争は、すでにマクロ社会学の観点から現代を語るときの枕言葉のようになった。社会学者は、狭い意味での専門が何であれ、こうした社会変革の意味について読み解き、将来を予見する役割期待ないしは職業的債務を負っている。」
今から10年近くも前に、光州抗争とメディアとの関係性に目を留めた林さんの社会学者としての慧眼に、ようやく時代が追い付いたのだと思います。
そのあたりのことは、李さんの力作とともに、もっと知られてもよいと思うのです。
昨今、人文系学問が役に立つとか立たないとか、生産性があるとかないとか、愚かしい議論が喧しくなされるなかで、これは真に優れた人文系学問の面目躍如ではないでしょうか。
研究者なめんなよ!