翻訳書が出版されました! ―朴來群『韓国人権紀行―私たちには記憶すべきことがある』高文研、2022年9月

2年半ぶりのブログです。

コロナ禍での初めての5・18にアップした記事「言葉のなかに埋められた言葉を④-丁秀羅:二人の「ニム」のはざまで歌う」を最後に、長いこと中断してしまいました。

この記事を書いた頃、韓国で『韓国人権紀行―私たちには記憶すべきことがある』という本が出版されました。

www.hanglesup.com (*原著の取り扱いはこちらから)

著者は「言葉のなかに埋められた言葉を③ ―朝になれば去りゆくあなたへ:金鍾燦の別れ歌―」(2019年4月)で紹介した朴來群さん。私が最も尊敬する韓国の活動家です。この本は帝国日本と軍事独裁政権による人権蹂躙の現場を歩きながら、陰惨な記憶の残滓に耳を澄ませ、犠牲となった人々の声に傾聴する、人権活動家による紀行文として著されました。舞台は済州島(4・3事件)、戦争記念館(朝鮮戦争)、小鹿島(ハンセン病患者隔離施設)、光州(5・18抗争)、南山・南営洞、西大門刑務所歴史館、磨石牡丹公園、セウォル号惨事の現場(珍島、木浦、安山、仁川)という8つのテーマです。

この本が出てすぐの頃から、私は、なんとしてでもこれを自分の手で翻訳したいと思っていました。その理由は、ほかでもない尊敬すべき朴來群さんの本であり、また後述するように、この本が私が韓国民主化運動を研究する中でずっと投げかけてきた問い――韓国政治は歴史上の「非業の死者」にまつわる記憶と哀悼の力学につき動かされてきた――を当事者の側から補完してくれるものだったからです。この本によって、それまで孤独の中で虚空に問いかけ続けてきた私は、まさに百万の味方を得た思いでした。

この2年半の間、自分が何をしてすごしていたか全く思い出せないほど、とにかく目まぐるしいばかりの日々を過ごしていました。通常の大学業務と大小さまざまの書き仕事とともに、一番の成果はやはり本書の日本語訳出版ということになるでしょうか。出版不況が続く中で、こんな重苦しくて陰惨なエピソードばかりの本書の出版を引き受けて下さった高文研には感謝の言葉しかありません。

www.koubunken.co.jp

献本にあたって同封した訳者あいさつの一部を以下に貼り付けます。

今からちょうど四半世紀前に『烈士の誕生―韓国の民衆運動における「恨」の力学』(平河出版社)を、22年前に『光州事件で読む現代韓国』(初版:平凡社)を刊行した際、一人一人の政治的な「死」のいきさつにまつわる「哀悼」の情念が韓国政治を、ひいては韓国現代史を駆動してきたことを初めて世に問いました。そして「ろうそく革命」を経てのち、今に至るまでも私はそのことを問い続け、民主化を推し進めてきた韓国独自の歴史的文脈に敬意を払うよう微力ながら呼びかけてきました。訳者解説にも記したように人権蹂躙の歴史の現場を一つ一つ巡りながら名もなき無念の死者たちの「哭声」を聴いて歩く本書は、「韓国人権紀行」であると同時に、私と同世代の韓国民主化勢力の真っただ中にいた人物による、現在に至るまでの「哀悼の韓国政治」にまつわる証言でもあります。

 実はこのブログを通じて訴えたかったことの一つが、「民主化を推し進めてきた韓国独自の歴史的文脈に敬意を払う」ということでした。訳者あとがきにも、そうした思いを込めました。

近年は日本でもデモによる政治参加が注目を集め、活発に議論されるようになっているが、日本の民主主義と社会運動の歴史と今後を考えるうえで、単に比較対象としての表層的な韓国理解にとどまることなく、この書に込められた韓国政治の深い歴史的意味が敬意をもって広く参照されることを切に願う。

 本書は決して楽しい本ではありません。読んでいて苦しくなる、目を背けたくなる、吐きそうになる・・・そんな残酷なエピソードが、これでもかこれでもかと描写される。8つのテーマそれぞれに質を異にする悲惨さがあります。ある方はしんどすぎて1日1章読むのが精一杯だったと感想を下さいました。でも、これが隣国の人々が舐めてきた歴史的経験のリアリティというものです。そして、その歴史は近代以降、日本の「私たち」とも深くかかわるものなのです。

そのことを虚心に直視し、受け止めること。つまり「敬意をもって」朝鮮・韓国の歴史と向き合い、学ぶこと。日本の「私たち」も、この「紀行文」をともにし、韓国の近現代史をともに旅できることを願っています。

このブログをお読みいただいている皆さん、本書をどうぞよろしくお願いします。情報の拡散と、またすでに本書を読んで下さった方は感想などをどしどしアップしていただけると大変うれしいです!

左・原著/右・日本語版